十二国記『白銀の墟 玄の月』はやっぱりすごかった!(たぶんあんまりネタバレしてない感想)

 ■十二国記シリーズ最新作が18年ぶりに発売!!

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

白銀の墟 玄の月 第一巻 十二国記 (新潮文庫)

 

 ご存知の方も多いでしょうが、国産中華風ファンタジーの大傑作『十二国記』の最新作が18年ぶりに発売されました。超がつくほど有名な作品なので、どんな作品なのかはあえてここには書きません。今回は4冊分発売で、先程読み終えたわけですが、良かったか悪かったかでいうと、超々々々々々々々々々よかったです。ていうか完璧か? ド傑作だったんだが。小野不由美の筆力、いささかも衰えることなし。どころか、ますますその絶筆は冴え渡っておりました。ひえー。

 そもそも私が十二国記に触れ合ったのは、ちょうどYom yomに『落照の獄』(『丕緒の鳥』に収録)という十二国記の短編が掲載される数年前あたりだったんですが、シリーズを一通り読み終えたあたりで『十二国記シリーズ、最新作短編が○年ぶりに掲載!』と銘打たれて『落照の獄』が掲載されてておりまして、「おっ、ということはシリーズの続きが出るのもそう遠くないな!」なんて思っていたわけなんですが、よもやそこから10年近く待たされるとは思いもしませんでした。いや、ちゃんと続きが出たからいいんですけど。

 

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8 (新潮文庫)

黄昏の岸 暁の天 十二国記 8 (新潮文庫)

 

 

 で、最新作の『白銀の墟、玄の月』なんですが、長編シリーズとしてはこれまで最新刊だった『黄昏の岸、暁の天』で主題となっていた戴国を舞台に、直接の続編が描かれた作品です。そんで実際に読んでみて『白銀の墟』はめちゃくちゃおもしろかったわけですが、一読してみてわかったのは、「まあこれはたしかに18年かかるよな……」ということで……。いや実際はどうだったのかわからないですけど(ぶっちゃけサボってた時期もあると思う、人間だもの)、すくなくとも一年やそこらで書けるものではなかったと思います。そんな生なかな内容でゎない……。

 というのも、『白銀の墟』の設定の目の眩むような細かさ!ですよ。どの役所にはどういう役職があって、その役職の上下関係はこうなっていて、部署間はこういう間柄で、それはどういう場所にあって、その東西南北にはこういう地理になっていて……。そういった世界を定める設定がこれでもか!!!!!オラ!!!!!!これでもか!!!!とばかりに出てくる。読んでて正直「そんなたくさん言われても覚えられんがな」とじゃっかん嫌になるくらい出てくる。四巻のうち半分くらいは設定の説明してるんですよ。マジかよ。

 加えて、登場人物がめちゃくちゃ多い。英伝か?*1いやもうほんと多くて、軽く数十人は当然として、百人は……いってないと思いますが、それぐらいとにかく戴のキャラクターがでてくる。しかも全キャラクターが物語中の役割が違う。とんでもない数が出てくる。これらをすべて統御して物語に落とし込もうとするなら、そりゃあ猛烈な労力がかかるわけで……しかも小説は基本的に個人制作。年単位の時間がかかろうものです。

 

■けどなんでそんな大変な物語にしようと思ったの??

 しかし素朴な疑問として、じゃあなんでそんな大変なお話を書こうと思ったんや?? もっと小規模な話にしてもよかったやんけ、と思うのが普通だと思います。実際、著者である小野不由美の小説家としての力量を考えれば、一冊でまとめること自体はけっして不可能ではなかっただろうと思います。それは十二国記シリーズの短編の完璧な(完璧すぎる)構成を見てもあきらかですよね。著者はやむをえない事情があって、こんな大著を記したのだと思います。ていうか著者自身、短くて済むならそっちのがよかったんじゃなかろうか。大変だし。

 ではなぜわざわざ、大量の設定、大量の人物を用意して『白銀の墟』を描いたのかといえば、それは戴の民衆たちによる自助努力による国の復興を描かなければならなかったからにほかならないと思います。つまり、どこか誰かの英雄による国の救済ではなく、その国の権力を持たない(失った)多数の人間たち・民衆によって国が救われる過程を描くこと、それ自体が『白銀の墟』を書く最大の目的だったからなんじゃないかなと。というのも、直接の前巻にあたる『黄昏の岸 暁の天』では、戴国がおかれた絶望的な状況が徹底的に開陳されます。

 

 

① その国の王を選ぶ天命を帯びた存在=麒麟がそもそも国にいない。蝕によって蓬莱という異世界に飛ばされてしまっていて、行方不明。かつ蓬莱に行く手段はごく限られており、探すことはおろか、行くことすら困難。

② 戴国はクーデターによって、政府を掌握されており、王国軍も完全に押さえられている。その状態で王は行方不明で失踪している。

③ 行方不明の麒麟は、角を王位簒奪者(阿選)に切られている。これによって行方不明の王を探すこともできない。

④ 麒麟はふつう金髪だが、泰麒(戴国の麒麟)は髪の毛が黒い「黒麒」であり、ひと目で麒麟と一般人の見分けが付かない。なので民衆に対して視覚的に訴えることが困難。

⑤ 十二国記の世界は、王も麒麟もいない状態だと天候が荒れまくって、農作物とかの収穫が落ちる上、妖魔という化け物もあちこちに出現するようになる。加えて、戴国はもともと北国なので、冬の寒さが厳しく、ただでさえ生きるのが困難な地域。

 

要するに、一言でいうと、国として「詰んでる」状況なわけで、まあ『黄昏の岸』を読んだ人は「え……もうだめなのでは……これは……????」と思うくらい国として傾きまくってる状況なわけです。『黄昏の岸』では、他国の王の協力を得て、ようやく麒麟・泰麒を探すことに成功して終わるわけですが、戴国じたいは阿選という偽物の王が支配している状況でした。これに加えて『黄昏の岸』では、テーマとして掲げているのは「自分は自分で救うしかない」ということ。ここまで詰んでて、どうしようもない状況であるにもかかわらず、十二国記世界の神の人々は、なぜ戴を救わないのか!と天上世界の者たちに怒りをあらわにする李斎に対して、陽子が返した言葉がとにかく強く印象に残っています。

 

 思った瞬間、目眩を感じた。――では、李斎のこの叫びは、民の叫びだ。

確かに陽子はかつて、これに似た叫びを慶の街で聞いた。

「李斎……私はその問いに答えられない。けれども一つだけ、今、わかったことがある」

「わかったこと?」

「もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」

 李斎は不思議そうに首を傾げる。

「だが、天が実在しないなら、天が人を救うことなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであれば、必ず過ちを犯す」

「それは……どういう……」

「人は自らを救うしかない、ということなんだ――李斎」

(――「黄昏の岸、暁の天」より、強調引用者)

 

初めてこれ読んだときは「き、厳しーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!」と悲鳴をあげてしまったんですが、つまり『黄昏の岸』で一つ結論づけられていたのは、ここまで絶望的な戴の国状であっても、天にすがるのではなく自分たちの力で国の問題を解決しなければならない、ということなんですね。

しかし、実際それではどうやって解決するのか? という具体的な部分については保留する形で『黄昏の岸 暁の天』は終えていました。次の作品でそれが描かれるのだろうという余韻を残して……そして18年の月日が流れました。そして『白銀の墟 玄の月』では、その18年越しの宿題をついに片付けたわけです。

とはいえ戴という国を自分たちの力だけで救うという過程を、物語の次元に落とし込むのは決して簡単なことではなかったんだと思います。すでに述べましたが、誰か一人の英雄にとって国が救われるのではなく(本来そういう役割を担う王たる存在、驍宗は行方不明になっているし、王の相方である麒麟麒麟としての力を失っている)、国をなす人々だけの力で解決する過程を描くのは、大変です。

というかそもそも、十二国記は死なない一人の英雄=王によって国が常に整えられていくことが可能なような設定が組まれているわけなんですが、それをあえて否定した脱英雄譚として物語が構成されていることが実に興味深いです。そういう意味ではとても現代的な作品だといえましょう。そういえば先日完結したばかりの『ゲーム・オブ・スローンズ』も脱英雄譚的な締めくくりだったことが印象深いですが。

ともあれ、ちゃんと戴国の物語にひとつケリがつけられたのがとにかく良かったです。感慨深いとしかいいようがありません。

 

■では、十二国記シリーズはこれで終わりなの??

たぶん終わんないんじゃないですかね。たぶんですけど。

今作で十二国記世界におけるさまざまな謎の一部が解決されたことは事実だと思いますが、まだ未解決の大きな謎が残っています。そう「天とは何か」という部分です。神として世界に存在しているにもかかわらず、戴国の窮状にたいして結局最後まで大したことができなかった「天」ですが、『白銀の墟』においても、最後の最後まで結局なにもしませんでした(笑)。いやしないだろうなと思っていましたけど。

ようするに十二国記世界の、もっとも根幹たる部分の謎がまだ明かされていないんですよね。ファンタジー的にいえば「なぜこの世界が作られたのか?」ということになるんでしょうか。私はべつにファンタジーに明るいわけではないですが、蓬莱=現実の我々の世界とどうしてつながるのかといった点や、『落照の獄』で王が病んでいったのも『白銀の墟』で起こったのと同じ理由によるものなのかといったところなど、未解決の問題はまだ残っていると思います。なので、続きを作ろうと思えば問題なく作れるんじゃないでしょうか。

といってもまあ、それは「作ることが可能」といっているだけで、作者自身がどう思っているかはまったく別問題なので。出てくることもあれば、出てこないこともあるでしょう。幸い、短編はすぐに出てくるらしいので、長編としての続きがふたたび刊行されることも期待していいのかもしれません。18年かかるかもしれませんが。(ちゃんと生きてるかな……自分……)

ともあれ今は2019年を代表する一つの傑作が生み出されたことを、素直に喜んでおきましょう。『白銀の墟 玄の月』、本当に素晴らしかったです。小野不由美先生、ありがとうございました! 続きも楽しみしています!(←

 

 

*1:実際、十二国記の構想には銀英伝がアイデアとして重要だったようですが、ここでは触れません