【ネタバレ】PS4『Detroit: Become Human』レビュー:アンドロイドが「人種」として扱われていること

PS4ゲーム『Detroit: Become Human』をクリアしました。

一週目は特に攻略など見ずにそのままクリア、その後二週目で全員生存エンディングを見たところです。東京ゲームショウ2018開催に伴ってセール販売中だったのと、以前から良い評判を聞いていたため興味を持っていました。また自分自身が次に考えている話でも人工知能を出したいな~と思っていたので。結果、非常に面白かったです。製作会社はクアンティック・ドリームというフランスのゲームメーカーで、恥ずかしながら初めて聞いたメーカーだったのですが、たいへんよく出来ていたゲームだったと思います。

 

 

■どんなゲーム?

どんなゲームかというと、まさに「遊ぶ映画」「遊ぶハリウッド」と言うべきもので、映画をコントーラーで操作しながら物語を進めていく内容になっています。ほとんどムービーと見分けがつかない高精細な3Dモデルで、キャラクターを操作できるのはもちろん、椅子に座る、立つ、ゴミを集める、手を差し伸べる、ドアを開ける、といった細かな動作に左スティックや各ボタンが、時間制限のあるリアルタイムで割り振られ、画面表示にあわせて進行させていきます。要するにビジュアルノベルにおけるクリックの代わりに○×△□などのボタンやスティックを操作して映画を進行させていく感じですね。ノベルゲームにおけるメディア論的には「1クリックごとに感情移入は促されていく」という考え方がありそれに通じるものを感じますが、それ以上の没入感があるように思いました。文章では伝わりづらいかもしれませんが、実際にやってみるとなかなかあまりないゲーム体験だったので、そういう意味でも非常によかったと思います。

物語は2038年、アンドロイドが実用化されたアメリカ社会デトロイトにおいて、アンドロイドが自身の自由を勝ち取るために蜂起する(しないルートもある)といったもの。

作中ではアンドロイドがすでにチューリングテストを突破しており(※人工知能関連では知らないとモグリ扱いされるほど超有名な話。作中にも出てくる。詳しくはググってね)、公園の掃除や家事手伝い、売店の売り子などにおいてすでに実用化が果たされている状態です。その余波で世界的に失業率が急上昇(失業率30%以上になっている)、アンドロイドに職を奪われた人間たちから多くの反感を集め、ピリピリした状態になっていて……という感じ。

ちなみに現実の社会でも、人工知能によって人間の職業は奪われていくだろうという予測は立てられており、そういう意味では、アンドロイドの実用化にともなって失業率増加⇒ヘイトが高まる……というのはリアリティのある設定だなと感じます。 

2050年の世界―英『エコノミスト』誌は予測する

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 ↑このへんにもそういうの書かれてた記憶があります。興味があると読めばいいかも。

特に本作では、芸術文化の方面でもアンドロイドが人間以上の活躍をしはじめているという点が非常に大きいのかなと思います。スポーツにおけるアンドロイド選手の登場は簡単に予想できるものですよね。現在でも義手義足アスリートの方が、一般の健常者アスリートよりも好記録を出し始めているので、ある意味当然ではありますが、芸術分野はある意味で人間にとっての「聖域」なんです。それだけにそこで人工知能に劣ってしまうというのは、種としての敗北に等しい(にもかかわらずアンドロイドが事実上の「奴隷」として扱われていることに、このゲームが主張する問題意識が含まれているわけですが)。つってもまあ、現実のわたし達の世界でも、すでに人工知能の小説が実現されていることを考えると、その聖域も確実とはいえないわけですが……まあそれはさておき。

以下の本なんかでもそのあたりの、人工知能によって人類が職を奪われるのは仕方ないが、いまだに人工知能では「アート」についてはどうにもならないと触れていた記憶があります。聖域だって話ですね。

 

 

それはともかく、一通り遊んでみて「非常によくできた秀作」といった印象を受けました。

傑作というほど衝撃的ではないけれども、大変満足のいく内容という感じ。特に脚本の質が高いのがよかった。脚本がだめだと、わたくし、それだけでめちゃんこ萎え太郎になってしまうのですが、デトロイトは最後まで脚本のレベルが高い水準で安定していました。脚本担当がこの物語のポテンシャルをよく理解しているのが物語序盤から伝わってきたため、最後まで安心して見られたのは本当にありがたかった。おそらくハリウッド系の脚本術の影響下にあるストーリーだと思うのですが、それ系の脚本にありがちな「感情を操作されているちょっとした不快感」みたいなの……は多少感じるものの、全体としては最後まで中だるみせずにストーリーが駆動していたのは好印象です。複数本に連なる大長編映画を見たような充実感、満足感があります。

また先に少しふれましたが、本作はいわゆるビジュアルノベルの系譜に連ねてもいいゲームだと思われます。自分はそういう風に捉えました。幹となるストーリーは固定されているため大きなルート分岐はありませんが、枝葉の分岐の仕方などは、あきらかに日本のビジュアルノベルを彷彿とさせるものがあります。そういう点ではかなり意外でした。もともと自分はゼロ年代エロゲー諸作はもちろん、『弟切草』やら『かまいたちの夜』あたりから始まるビジュアルノベルが好きだったので、まさか海外産のゲームでそういうのが出てくるとは思いもせず、良い意味で期待を裏切られて嬉しかったですね。

news.denfaminicogamer.jp

 

↑この記事ではまさに、日本のノベルゲームの第一人者といっても過言ではないイシイジロウ氏がデトロイトに対して抱いた所感があきらかにされているのですが、その感想は興味深いですね。イシイ氏は日本のノベルゲームが持つメタな各ルートの等価性を見ていて、それだけにデトロイトに否定的な評価を下しつつも、そういう評価しかできない日本ノベルゲーム文脈の限界を感じ取ってもいます。これはかなりうなずける話。

そもそも西洋社会だと一神教的世界観なので、日本の多神教世界観的な複数ルートが並列されている状況が馴染まないのかもしれません。どうしても正解を求める傾向にあるのが西洋文明にはあるので。

 

さて……では、以下からは完全にネタバレ……ストーリーの核心部分まで全部明らかにして書きますので、その点ご了承ください。すでにゲームをクリアした方か、もしくはゲームを遊ぶ気はないけどネタバレ込みで内容は把握しておきたい、という人向けです。そう、つまり君のことだぞ(?)。本当にマジのマジで全部書いちゃうから、勘弁してね。

 

■コナーについて

まず本作は、三人の主要人物の視点が絡み合う多視点モノだということを述べておくべきでしょう。その三人とは、すなわちゲームタイトルにも表示されているアンドロイド……『コナー』『カーラ』『マーカス』の三人です。本作は彼らの視点が交代しながら進んでいき、やがてクライマックスで交わる……といった筋立てになっているのです。

で、この三人の設定がまた「この脚本家、よくわかってるな!!!!!!!」という感じでめちゃんこ良いんですわ。この三人をそれぞれ個別に見ていきましょう。

 

まずはコナーについて。パッケージの右上にいる男のアンドロイドです。彼は主要人物三人のなかではもっとも「アンドロイドらしいアンドロイド」という役割を与えられているキャラクターです。ルートの選び方によっては、彼は数十回死ぬことが可能ですが、そのたびに別個体にメモリーを委譲することで何事もなかったかのように蘇ってきます。「私はコナー。サイバーライフ社のアンドロイドです」。こわい。

作中ではアンドロイド生産を『サイバーライフ』という大手メーカーが独占している状態です。コナーはそのサイバーライフ社における最新鋭の個体。犯罪対策に特化したアンドロイドとして、デトロイト市警のベテランであるハンク・アンダーソン警部補とパートナーを組み、捜査を行っていくことになります。しかもその捜査担当は、主にアンドロイド絡みのもの。つまりコナーは「アンドロイドを捕まえるためのアンドロイド」なんですね。Fateでいうところの「アサシンを殺すアサシン」などのようなメタ的存在なんですな。しかも本作では、人類とアンドロイドとの対立が重要なテーマになっていくのですが、そのなかでコナーはその中間に立つ存在として揺れ動いていくことになります。ふたつの種族のどちらに立つのかを求められるアンドロイド……それがコナーだというわけです。

通常、アンドロイドは人間の命令に完全に従うようにプログラミングされています。なので普通に生活する上では問題を起こすことなどないのですが、作中のデトロイトでは、さまざまなことをきっかけにアンドロイドが自分の意思に目覚める……つまり「変異する」。そしてその変異を起こした「変異体」は、大概の場合、アンドロイドの所有者との諍いという形で出現することになります。コナーはその変異体について、発生原因の特定ないし解決を求められています。

そして……コナーがアンドロイド犯罪の捜査にあたってパートナーを組むことになるハンク・アンダーソン警部補というヒゲが生えたやさぐれたオッサンがまた良くてですね……。

ハンクはアンドロイドを毛嫌いしている人物です。何かとコナーに対して「アンドロイドのくせに」「近寄ってくんじゃねえ」「ひょこひょこ金魚のフンみてえについてきやがって」などとつっかかってきます。

彼はもともと非常にすぐれた警官で、レッドアイスと呼ばれる新型麻薬の摘発事件に関連して、もとはデトロイトでもっとも優れた警官であるとして表彰されていた人物です。しかしその彼は……これはまさにハンクの設定の核心部分ですが、かつて事故で唯一の息子が大怪我を負ってしまい、息子の手術を行ったアンドロイド医の手術失敗によって最愛の息子を失ってしまっています。しかもその背景には、病院にいる人間の医者が全員レッドアイスによって酩酊状態にあったため、手術できるのがアンドロイドしかいなかったという強烈な皮肉があります。ハンクが為したレッドアイス摘発はまったくの無意味だったわけです。その結果、どうしようもなくハンクはアンドロイドを憎むようになってしまった……というわけですね。

で、そんなハンク・アンダーソン警部補は、コナーとでこぼこコンビを組むことになります。当初はちぐはぐだった関係も事件解決に協力していくにつれて、ハンクはコナーに理解を示すようになり、またコナーも人間らしい「感情」を理解していくことになるのです。ただし、ハンクの危機を無視して事件解決に走ったり、ハンクの命令を無視してアンドロイドを捕まえようとしたりすると、ハンクとコナーの関係に完全に亀裂が走ります。結果としてハンクが相棒コナーを銃殺する、なんていう展開もあったりする(そしてその後、コナーは別の個体にメモリを移し替えて何事もなかったかのように現れたりするのがまた良い)。

とはいえ、ですよ。そういった展開は何にせよこのハンクとコナーの組み合わせは……この世界のエンターテイメントを楽しむオタクなら理解頂けることかと思いますが、経験の浅い新人刑事と、やさぐれたベテラン刑事の組み合わせが嫌いな人間はいません(断言)。いやコナーはアンドロイドだけど。ミステリーにおけるホームズとワトソンの関係性然り、この手の組み合わせはエンターテイメントにおける鉄板です。脚本家よくわかってる! いや初歩といえば初歩だけど、アンドロイドの捜査補佐官というのはあまりない設定だけに、おもしろかった。 まあ欲をいえばもうちょっと会話のチグハグ感がほしかったところではありますが。

それと余談。すでに書いたように、コナーはサイバーライフ社の最新鋭アンドロイドです。そのため、変異体事件の解明を強く求められています。選択肢の選び方によっては、アンドロイドの側(変異体の側)につかずに、最後までサイバーライフ社の「猟犬」であることを選び続けるエンディングも可能なのですが、その場合、すべての事件を見事に解決し、アンドロイドの蜂起を完全に鎮圧させたあと、廃棄されます。しかもその捨てられ方がいい。管理者であるアマンダに「コナー、今までありがとう。見てくれ、君の新バージョンが開発されたんだ。かっこいいだろう?(目の前の新型を見せびらかす) そんなわけだから君はもうここでおわり。それじゃあね」みたいな感じで超あっさり捨てられます。どこまでいっても犬は犬、奴隷は奴隷というわけですね。クール。脚本家はよくわかってる。こういうとこが好きなんですよね~。

 

■カーラについて

三人の主人公のうち、唯一の女性アンドロイド。パッケージの中央で女の子と一緒に移っているキャラクターです。このキャラクターもまた良くてですね……このカーラはいわゆる「家事手伝いモデル」というやつでして、家に配置されれば、掃除洗濯炊事子どもの相手まで何でもござれのアンドロイドです。

そんなカーラが購入された先はトッドという男のもとなのですが、こいつがまさに絵に描いたような典型的なDVクズ親父なんですね。メンテナンスを終え、一度メモリ消去を行ったカーラが連れられたトッドの家は、めちゃくちゃに荒れています。あちこちに空の酒瓶がちらばり、テーブルの上にはピザを注文した空き箱が積み上げられ、台所には汚れた皿が散らばっています。洗濯もろくに行われていない。そんな父を見て、娘であるアリスは怯えたようにトッドから逃げ回っています。

どうやらトッドはアンドロイドの社会進出の影響をもろに受けて失業状態。仕事にありつけていません。妻にも見捨てられて逃げられています。そのくせ、家では酒を飲み、その憂さを晴らすために娘のアリスには暴力をふるっています。さらに極めつけにこのトッドという男、なんとレッドアイスの常習者でもあります。カーラが家事を手伝う横で、トッドがレッドアイスをキメるシーンがあるんですが、それなんてもう鳥肌モノですよ。薬を決めて「あっ……おっ、おっ、ぉっ……ぁ……」みたいなトッドの超キモいあえぎ声が聞かされる横で、暴力にアリスは震えているっていう。しかもどうやら、カーラがメンテナンスに出されていたのは、トッドによる八つ当たりにとって破損していた(頭部が引きちぎられた)からだったということまで明らかになるのです。

 

家事手伝いアンドロイドであるカーラ……すなわちプレイヤーに対してこのゲームは、「そんなDVクズ野郎トッドと、暴力に怯え、殺されかけているアリスを前にしてそのまま見過ごすことができるのか? 救わないのか?」と問いかけてます。こうした極限の問いかけがこの後もいくつも登場するのですが、それゆえに、このゲームはある種の心理テスト的な側面があります。各チャプターをクリア後に、このデトロイトを遊んだ全世界のプレイヤーの選択肢の比率がパーセント表示されるのですが、それがまたなかなか興味深いんですよ(ここでアリスを見捨てるという選択をするユーザーもそこそこいます)。とはいえ、大半のプレイヤーは見過ごすことができないでしょう。ここらへんの脚本の巧みさは見事ですね。以下の本とかそういうテクニック書いてるんですが、まさに典型って感じです。

 

「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方

「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方

 

 

激昂するトッドからアリスを救うことで、カーラはアンドロイドとして「変異」します。展開によっては「トッドからアリスを守って逃げる」「トッドをカーラが射殺して逃げる」「トッドをアリスが射殺して、カーラと逃げる」「トッドもアリスも殺される」など細かくさまざまに分岐していきます。

そんなこんなで、母親代わりとなったアンドロイドのカーラと、アリスとの逃亡劇が始まるのですが……いや~~~これがまた、とにかく不憫極まりないんですわ。

なにしろトッドの凶行は突発的なものなので、金もないし逃げるツテもない。とりあえずバスに飛び乗って逃げたはいいものの、どこにいけばいいのかもわからない。逃げた先のバス終点では、雨が降って冷えきった身体をふるわせるアリスを泊めるため、カーラは困難に直面します。アンドロイドの服だとバレれば宿泊できないのでコインランドリーで服を盗むかどうか葛藤したり(横でアリスが見てる…)、コンビニで宿泊する金を得るために銃で脅すかどうか、万引きをするかどうか。あるいは罪に手を汚さないかわりに、廃棄された車で野宿するか、もしくは安全ではない廃屋で野宿するか……など。倫理的な面で、カーラはアリスを守るためにさまざまな辛い決断を強いられることになります。

そうしてやっとこさ一泊したかと思えば、通報を受けたコナーがカーラを追い掛けてきて必死に逃げることになったり、逃げた先が、アンドロイドで違法改造を繰り返すサイコ野郎の家だったり、そこから更に逃げたかと思えば今度は、通報を受けた警官がかくまってくれた家に訪れたのでだまさなければならなかったり……。エンディングを迎える最後の最後まで、このカーラとアリス(とルーサー)の逃亡には、とにかくハラハラさせられることになります。繰り返すようですが、この辺は脚本がうまい! ゲームの選択によっては普通にカーラもアリスも死んでしまうため、プレイヤーはかなり没入させられるっていうのも良いとこですね。そうして逃亡し続けていくうちに、やがてカーラとアリスは、人間とアンドロイドという種族を越えて、本当の家族と呼ぶべき絆をはぐくんでいくことになるわけです。とくに「海賊の入り江」という章で、いつも悲しそうな顔や心配そうな顔ばかりうかべていたアリスが、初めて笑顔をうかべるシーンなんかめちゃくちゃ胸にせまりますよ。「初めてあの子の笑顔をみられたわ……」とほっとするカーラの姿に、プレイヤーである自分たちもまた涙させられます。

 

……が、このカーラの物語の核心はこの先にあります。

そしてこの点が、このデトロイトというゲームについて個人的にもっとも評価しているポイントでもあります。なんとカーラが必死になって守ってきた人間の少女・アリスが実はアンドロイドだったと明らかになるのですね(!)。アンドロイドは同じ型番だとまったく同じ外見になるため、アリスそっくりの別のアンドロイドを見つけたカーラは、アリスが人間ではなかったという真実に衝撃を受けます。これまで人間とアンドロイドの間にも絆をはぐくむことはできるのだ、と思っていたら、実はそれがアンドロイドだったと明らかになってしまう。

そしてこの真実が明かされたとき、私は「やられた!」と思いました。ここまで強い問いかけを物語中に仕込むのはそう簡単なことじゃありません。これは本当に見事。

本作はゲーム全体を通して、アンドロイドがとにかく酷い目に遭うゲームです。ほとんど奴隷同然にあつかわれる様子には同情を禁じえません。そう、「同情を禁じえない」のです。だからこそ一環して、ゲームを遊ぶプレイヤーは、アンドロイドの側に感情移入をしていくことになる。アンドロイドに人権は与えられるべきだとか自由が与えられるべきだとか、アンドロイドにも感情がある……とか、色々と作中では語られますし、それは理屈のうえではそうだろうなと納得させられる作りになっている。けどそれは本当にそう思ってる? まるでそう問いかけるような仕掛けです。それまで人間だと思っていたものが、たとえアンドロイドだったとしても、それでも同じように目の前の『人格』をそのまま愛することができるのか。種族など関係なく、一個の人格として、あなたは尊重できるのか。そんな強い問いかけを感じました。

 

ここら辺の仕掛けは、似たようなことを『ニーア・オートマタ』なんかもやっていた記憶があります。そういえばあのゲームもアンドロイドの話ですしね。……が、ニーアファンには悪いですが、そちらよりもデトロイトは遙かに手口が鮮やかですね(笑)。しかもシンプルなだけにメッセージ性も強い。繰り返しますが、これは本当に脚本がうまい! お見事でした。

 

■マーカスについて 

えー、すでに記事としては長くなりすぎているのですが……(笑)、もうちょっと書きます。三人の主人公のうち、最後の一人であるマーカスについてもちょっとだけ触れておきます。

彼はアンドロイドたちの人権や自由をとりもどすべく『ジェリコ』という組織を率いることになるリーダーのアンドロイドなのですが、軽くふれたとおり、もともとは彼も一人の主につかえるアンドロイドでした。

その相手がカールという高名な画家。資産家でもあります。彼は芸術を深く理解していますが、高齢で余命がいくばくもありません。マーカスはアンドロイドとして、彼の生活を支え……というかハッキリいうと「介護」しつつ生活しています。カールはアンドロイドにも理解を示しており、明言はされませんが、いずれアンドロイドにも相応の権利が認められるべきだと考えていることがうかがえます。そんなカールとマーカスとの関係は、たんなる「アンドロイドと主人」以上のものであり、むしろ「父と息子」というべきものです。しかもかなり理想的な父と息子との関係。マーカスは理知的なアンドロイドであり、そのことをカールは喜んでいると思われます。そこには確かに、アンドロイドと主との、理想的な関係が存在していました。が……(笑)。

問題はカールの息子であるレオってやつでして、まあこいつがめちゃくちゃなドラ息子です。

父であるカールに薬をやるための金をせびり(明確に記述されていませんが多分これもレッドアイスだと思われる)、金がもらえないと見るや、自分よりも大切にされているとマーカスを「このアンドロイドが!」と罵っていく。 血の繋がった息子よりも、アンドロイドであるマーカスのほうが遙かに本当の息子らしいという皮肉的な構図なわけです。そのことにカールは日頃から心を痛めていたものの、ある日、息子のレオが金のために、無断でカールの屋敷に入り込みます。カールの絵画を勝手に売り払おうとする息子の姿にカールは激昂しますが、病人である彼にはどうにもできません。そしてレオはマーカスに八つ当たりを始めるのですが……この後、展開はふたつに別れます。

一つは「マーカスが変異しレオにやりかえした結果、レオが死んでしまう。駆けつけた警官が誤解しマーカスは銃撃を受けて廃棄されしまう」。もう一つが「マーカスが変異するものの、カールの言葉に従ってやりかえさない。しかしその様子に心的ストレスを受けたカールが倒れ、死んでしまう。レオは「このアンドロイドが父を殺した!」と罪をなすりつける」というもの。どっちに転んでもつらい展開です。

その後、アンドロイドとして理想の生活をしていたはずのマーカスは廃棄場に捨てられてしまいます。廃棄場で身体のあちこちが破損したマーカスは、捨てられたアンドロイドたちから部品を集めて自身を修理し、アンドロイドの自由を目指して行動を開始する……といった感じです。

その後のマーカスについては、ジェリコのリーダーとしてのヒロイックな側面が強化されていくことになるので、ある意味で「人間らしさ」がなくなって面白みに欠けていくのですが、デトロイトというゲーム自体が抱えるテーマ的なものを体現していくキャラクターになるため、まあある意味では仕方ないかもしれませんね。

 

 ■ストーリー全体について

えー、各キャラクターの話はこれくらいにして、全体の話も。

全体的な物語の概要としては『アンドロイドが「人権」を得るまでに発生したデトロイト市の各事件を、コナー・カーラ・マーカスの三人の視点からそれぞれ綴っていったもの』と表現できるでしょう。

コナーは、アンドロイドを捕まえるアンドロイドとして、変異を起こしたアンドロイドたちの事件を追い掛けていくなかで、人間たちの傲慢さと醜悪さ、アンドロイドたちが奴隷同然にあつかわれている環境に直面し、自身もまたアンドロイドとして本当にこのままサイバーライフ社の猟犬のままでいいのかと葛藤していく。

カーラは、アリスを守りながら社会的なもっとも弱者=アンドロイドとして逃亡生活を送りながら、アンドロイド自由の地カナダを目指していくなか、マーカスらが引き起こすアンドロイド達の革命事件にも巻き込まれていく。

マーカスは、ジェリコを率いてアンドロイドの権利を主張すべく各事件を引き起こすいわばテロリストとしての役割があります。アンドロイドたちを「変異」させデモ行為を繰り返し、放送局をジャックし、権利を主張する。そのなかで、平和的にアンドロイドの権利を主張するのか、それとも強硬に(軍事的に)権利を主張するのか、その両極で揺れ動きつつ戦い続けるというもの(平和的に行くか、戦争に訴えるかはプレイヤー次第)。

こうした各キャラクターの物語自体は非常によくできており、概ね不満はありません。ただしこれらをSF的な物語として捉えたときに疑問点があったのは事実です。特にもっとも不満だったのは、『アンドロイドという生命体そのものの異質さを感じる描写が不足していた』ように感じたということです。

これはより正確にいえば、これは「アンドロイドの思考面についての異質さ」です。つまり作中に登場するアンドロイドの精神構造・思考回路は、ほとんどまったく人間と変わりないものとして描かれて(しまって)いるんですね。人間とほとんどまったく同じように喜怒哀楽を感じる。これは「SFとしては」物足りないように思います。たとえばアンドロイドはまったく恐怖を感じない(感情の一つが欠落している)とするだけでも相当ドラマの作りかたは変わっていたはずだろうなと思います。

作中ではアンドロイドと人間の、物理的な面での違いはかなり描かれていました。コナーは何十回死んでも平然と別個体にメモリを移し替えて登場するし、アンドロイドの皮膚表現機能カットが行われるリコールセンターの描写などは、アンドロイド特有の恐ろしさや異物感を表現できていたと思います。が、人間とアンドロイドが、決定的に生物として「違う」と感じさせる演出は記憶する限り一つもなかったように思います。

そしてそれゆえに、物語それ自体がほとんどアンドロイドを人間とした場合でも成り立つように出来てしまっているんですね。ここは決定的なポイントだと思います。アンドロイドを題材として選んでおきながら、本質的にはアンドロイドでなくても成り立つ話になってしまっている。アンドロイドたちが権利を訴えるのも、放送局ジャックとかデモ行進とかも悪くないんだけど、人工知能という特性を生かすならもっと派手かつサイバーなことできたんじゃないの?と思わなくもないですし。

もちろんコナーの数十回死んでも大丈夫、というのはアンドロイド特有ではあるんですが、その内部で描かれる感情の動き方はすべて人間に理解可能なものの範疇にある。アンドロイド特有の実存が描かれていないといってもいいかもしれません。これはSFとしてはどうなんだろう?とは感じました。ここは個人的な疑問点の一つです。

ただし、そもそもこれは脚本陣が興味がないんじゃないか?という気もします。また、本作のタイトルに『Become Human』とあるように、人間になる、という点を描きたかったのだと思えば納得できる話ではあります。要するにこれは、アンドロイドの話というよりも人種問題についての物語と捉えるほうが理解しやすいんです。本質的にアンドロイドの話はしていないのです。アンドロイドという「人種」が、差別から解放されるための話だといってもいい。作中でアンドロイドたちは「人間扱いしろ!」と主張していますが、メタ的・本質的にはすでに人間なんですよ。そこが不満だった。

考えてみれば、製作会社であるクアンティック・ドリームのあるフランスの現状を考えれば、移民問題などは日本よりも遙かに深刻な状況なはずです。こうした人種問題のメタファーとしてアンドロイドを選んだのは、十分に理解できる話なんですよ。失業率が高くなっている、というのも現代社会に通ずる問題ですし、ブレグジットを始めとした移民排除の動きは、本作のアンドロイド排除とそのまま重なるようにできている。デトロイトはその現実の戯画化を目指したものとして捉えるのが正確なのでしょう。だからこそ本作のアンドロイドは、アンドロイド的な側面があまり強調されない。

そういうわけで「SF的には」やや物足りない物語になっていることも否めないと思います。それはきっと「そもそもそういうのを作る気がなかった」と言われてしまう話ではあるものの、ここまでのクオリティを見せつけられると、どうしても……と考えてしまうんですよね(苦笑)。

記事の最初のほうでイシイジロウ氏のインタビューがありましたが、彼はゲームとして捉えたときのモヤモヤを感じていたようですが、なので私個人でいうとSF的な面でモヤモヤを感じていました。もう一歩踏み込んで欲しいところで踏み込まない感というんですかね。「遊ぶハリウッド」と私が表現したのは、そういう意味でちょっと皮肉的に表現したわけですけど。

 

■ゲームとしての不満

ゲームそれ自体の出来として不満がないわけじゃありません。特に「キャラクターの歩くスピード遅い!!」ということと「カメラの操作性が悪すぎる!!!」という点には、もうめちゃくちゃイライラさせられました。マップがそこそこ広いのに、キャラクターはゆっくり歩くことしかできないし、カメラの角度を変えるのも、一々マインドパレスを開かないと任意の角度に変更することもできない。面倒で仕方が無い。ここらへんの気のきかなさはいかにも海外産だな……と思いましたね。

同様に、シナリオのフローチャートも任意のシーンに飛ぶのは非常に面倒。各シーンに移動するたびに、PS4の読み込みが一分近く要することになるため、「あのシーンの別の選択をしたらどうなるんだろう?」という時にめちゃくちゃ苦労させられるのに、移動できるシーンがかなり大雑把かつ飛び飛びにしかできないので、とにかく時間がかかる。しかも毎回ムービーを見させられることになるため、複数回プレイするたびにうんざりしてしまうシステムになっている。これはシナリオ分岐するゲームとしてはけっこう致命的に感じます。

その上、別エンディングを見ようと思うと、キャラクター固有の感情パラメータ(好意とかですね)を変えないといけないのですが、それを変更するには、事実上最初からやりなおすしかないというのは、もうお前いいかげんにしろよと(笑)。日本のノベルゲームに慣れきった自分としては気の利かなさにげんなりしていました。まあ、想定ユーザーじゃないのかもだけど。

そういう意味ではこのゲームは、本質的には「初回プレイがすべて」のゲームなんだと思います。だけど難しめの難易度(ノーマルの難易度)を選ぶと、理想的なエンディングを迎えるのは非常に困難なので、その点もまた難点になってしまっている。イシイジロウ氏も言及してますけど、初回の「体験」にとにかく重きを置いているんでしょうね。そういう意味では、本質的にはこのゲームは遊んでみないとわからない部分はあるのかもしれません。

 

■まとめ

 

個人の所感としてはだいたいこんなところです。

非常に面白かったのは間違いないんですけど、SF的には手が届いていない部分もあり、けどそれは恐らく製作サイドとしては想定していない部分(人種問題が書きたかったのだろうから)でもあり、しかもゲーム的にはいろいろと不十分な点も多い。それだけになんとももどかしい。そういうゲームだったと思います。とはいえ物語自体の没入感はかなりあったわけで、何度もいうけど、とっても面白かったです。ただまあ……なんですかね、喉に小骨がひっかかってる感はあります。そういうゲームでした。

 そんではまた。