今ドチャクソ熱い漫画『火ノ丸相撲』2018年3月13日

今『火ノ丸相撲』という漫画がめちゃんこアツいです。

 

火ノ丸相撲 19 (ジャンプコミックスDIGITAL)

火ノ丸相撲 19 (ジャンプコミックスDIGITAL)

 

 

火ノ丸相撲っていうのはジャンプで現在連載している相撲を題材にした漫画なんですけれども。数えてみればすでに19巻ですか。早いものです。連載が始まった当初は、相撲というややマイナーな(といったら良くないかもしれんですが)競技を扱った点から「ジャンプで連載が続けられるのか?」という疑問もありつつ、それでも連載当初から持っていたシンプルな『わかりやすさ』の強さで人気を獲得していった漫画のように捉えています。

 

連載当時からこれは続くだろうな、というか、続いて欲しい漫画だなと思っていたのでここまで人気が出たことは素直に喜ばしいのですが、いや、ここ最近のジャンプでの火ノ丸相撲の展開は本当に見事。もともと火ノ丸相撲は、ジャンプ漫画らしからぬ「気の届き方」にいつも驚かされていたのですが、特に今週は素晴らしかった。「なにかに命を捧げるために生きる者」の姿とその対立が、その構図が非常に見事に完成されている点。

これは、おそらくこの作者自身が抱える問題がそのまま表に出てきたものでしょう。先程も書きましたが、この漫画は「気の届き方」が非常に良いと思います(だから火ノ丸が教えるために弟子を殴った瞬間はコミカルな描き方ではあったもののこの作者が!?と思ってびっくりしたのですが、それが「ここ」に繋がるのかと非常に納得しました)。たとえば、作中にでてくるユウマというキャラクターは、かつて相撲部をぶっ潰そうとしていた不良でしたが、相撲部に入部し、その相撲の魅力を理解することで、かつて自分が相撲部を潰そうとしていたその行為とその醜さから罪の意識に苛まされるのですが、たぶんコレふつうのジャンプ漫画だとそんな描写は出てこないんですよ。たぶんアッサリと流して、相撲部の部長の小関と和解して終わる。いや、実際にこの漫画でも和解はすることはするんですが、その解決までの描写は非常に丁寧です。これは他のジャンプ漫画的なものではなかなか見られないもので、むしろ青年誌などの倫理観を問うような作家や立場でないと出てこない問題意識だと思うんですよね。もちろんこの漫画の掲載先はジャンプなので、あまりに込み入った描写はできないんですが、少年漫画らしい軽やかさと倫理的な認識の重さを同居させつつ、この作者は漫画を成立させている。これは明らかにこの作者が持つ特質だと思います。

そして今週の話。

題材としては、『相撲部屋内の暴力』……いや、この時期にこのネタを持ってくるとかあまりにもロックすぎでしょう(笑)。しかもそれを、見事に自身の作家性……つまり競技に命を掛けるならば何もかも捨てていいのか? というテーマに絡めて描いてゆくその手管には拍手です。ブラボー。

ここ最近はずっと、ジンオウという絶対最強の横綱が「そこに愛はあるのかね!?」という台詞を出してきたり、あるいはレイナとの明らかに結婚も視野にいれた恋愛描写(少年漫画ですよ!)を差し込んできたりと、いろいろなものを積み上げてきたのも、ここに結集するためかと膝を打ちました。横綱はなにかを愛して、すべてを投げ捨てるような相撲は取らない。故に奥さんともうまくやっているわけですが、であるならば、火ノ丸は? 彼はそうではない……というのが今週明らかになりました。火ノ丸が相撲に打ち込めば打ち込むほど、レイナという相手を置き去りにしていくのです。なぜならば火ノ丸は土俵で死ぬために生きているのだから。

私が考えていることですが、優れた作家の条件の一つに、自分が追い求めるテーマと真逆の結論を受け入れられるか?というものがあると思います。

何故なら、自分が追及する作品のテーマを、もっとも強く輝かせるためには、その真逆であるテーマと衝突させなければならないからです(古くは芸術の世界でも「対位法」とかいわれたりしますね)。あるテーマを描きたいとして、それと真っ向から対立するテーマをぶつけることが、実はそのテーマをもっとも魅力的に、深みを伴わせて描く手法なんです。これはすでに歴史的に明らかになっている手法です。

ただね……これは非常に難しいことなんです。

なぜなら、作家というものは得てして思い込みが強い生き物なので、自分の思い込み=自分のテーマと、正反対のものなんか受け入れられるわけがないんです(笑)。「人間はこうやって死ぬべきだ!!!!!!」という結論を持って生きている人間が、「いやそうではない、人間が生き方に殉ずるなんて間違っているんだ」という言葉を受け入れるのは、いわば自分のなかに毒を取り込むようなもので、とにかく非常に苦しいのです。

だから、「自分が描きたいテーマと真逆のものを描けばいい」という手法を知っていたとしても、それを実際に遂行することは非常に難しい。自分のなかに他者を飼いならす力がなければできないことなのに、作家という人種はそうじゃない特質(思い込みが激しい)を備えているからこそ成立する職業なので、そもそも難しいものなんです。そして『火ノ丸相撲』に話を戻しますが。

今の火ノ丸相撲はまさにそれをやっているんですね。作者はきっと「漫画に命を捧げる為に生きていて」「漫画のためなら何もかも捨てていい」と思っていますよ(笑)。実際、そう思わせるだけの漫画の力量を備えていると思うし、それが漫画全体からオーラとして溢れていると思う。

が!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

にもかかわらず、それでもこの作者は、横綱ジンオウの「そこに愛はあるのかね?」やレイナとの恋愛を持ち出してきたり、そして今週の「命を捨てる覚悟のないものが土俵に上がるんじゃねえ」を描いたりなど、さっき自分が述べたようなテーマの止揚を描こうとしている。作者にとってみれば、ジンオウの言葉やレイナとの恋愛とか、たぶんきっと本質的にはめちゃくちゃどうでもいい(笑)ことなんだと思います。けど、それじゃあ良くないだろう!という思考もきっと同じく持ち合わせていると思うし、そこに葛藤を覚えているんだと思います(※全部自分の想像です)。でなければ、こんな展開は決してでてこないはずです。

いや、本当に見事。

ジャンプ漫画でここまで描ける作家はそういません。すでに傑作の風格を備えている漫画だと思いますが、きっとこの作者ならまだ先に行くこともできるでしょう。今週だけで終わるはずもありませんし、この先が本当に楽しみです。

みんなも読んでくれよな!!!!!!

 

火ノ丸相撲 コミック 1-18巻セット

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