妹尾ありか著『アカーシャの舷窓』感想

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■まえがき

 お友達の妹尾ありかさんが今夏のコミックマーケットで頒布した、新刊『アカーシャの舷窓』についての感想記事です。実は自分(橋本しのぶ)が本作のカバー・表紙のデザインを担当しております。つい先日、中身の小説についても読み終わったので(※一応言っとくと概要と表題作については事前に読ませてもらっていました)、私の新刊(『Grand Order/Alternative』上巻)の告知サイト製作もしていただいたし、お礼も兼ねて感想をば。当然の如くネタバレ記事なので、未読の方はUターン推奨。

 本作は短編集となっており、表題作の『アカーシャの舷窓』『海の蜻蛉、妖精の幻』『ブルースフィア・サブマリンショウ』の三作で構成されているものです。それぞれ彼の既刊である『フィニクスフヴォースト』シリーズや『心造少女』シリーズと世界観を同一にするもので、各短編の主要キャラクターである龍驤、あきつ丸、皐月、曙、イムヤ、響、朝霜らを中心に描かれている。

 一読して、楽しませて貰いました。

 もともと彼の既刊は読んでいたので、十分楽しめるだろうと思っていたし、実際に十分楽しめたと思います。読んで損するということはまったくないと思います。お金を出す価値は十分にある。

 た・だ・し

 その感想は基本的にかわらないものの、僕は彼のことを非常に買っているので、どうせならもっと良い作品書いて欲しいな~~と思うので、色々と厳しいことを書こうと思います(えらそう)。なお、以下のことはだいたいの内容は実際に対面したときに既に彼に伝えているもので、これから書くのは自分自身にとっての整理のためが主な目的になります。その点、了承の上おねがいします。

 

■短編ということについて

 本作を一読して何より思ったのは「やっぱり基本的には長編をのびのび書いてたほうがいい人なんだなー」ということでした(※いきなりわりと酷い発言)。

 いや、決してつまらないとかって言いたいわけじゃないんですけど、彼の良さはやはり長編のほうが出やすいんでしょうね。基本的に世界の設定をつらつらと書いていたほうが筆が乗ってる感じがあるので、そうなると短編だとどうしても「一部を」「ちょこっとだけ」切り取ったような寸足らずな印象が強くなってしまうんでしょうね。

 彼がキャラクターも書ける人なのと、自分が個人的にキャラクターを中心に据えてよむことが多いからそっちに目が行きがちなこともあって、処女作の『フィニクスフヴォースト』を読んだときは「キャラクターが描きたい人なのかな???」と思っていたんですが……まあ改めてやっぱり見ると「やはりややマクロ(世界そのもの)寄り」な気がします。キャラクターそれ自体にもフェチズムは感じるし、実際に書けているとも思うんだけれども、基本的にまず世界があって、その上でキャラクターを仮想で走らせるとどうなるか?ということに興味がありそうな気がするので、やはりマクロ寄りなんでしょう。そういう意味では、作家としてただしくSF向きな資質な気がします。私の読んだ感じとしては、彼の興味の比率としては「キャラクター:世界=3:7」か「4:6」くらいだと思う。

 で、そういう前提の上で読むと、今回の短編は彼の資質や興味のバランスがそのまま表出した、やや微妙な塩梅の作品に仕上がっているような気がします。

 というのは「そもそも短編って何よ?」みたいな話から始めなければならないと思うのですが、(あくまで私見だとしておきますが)短編っていうのはまず第一に求められるのは「切れ味」だと思うんですよね。

  切れ味というのは、つまり言い換えると「アイデアの新鮮さ」となるでしょうか。つまりその短編それ自体に含まれる情報の新しさ、とか目新しさとか、そんな感じのアレです。具体的な定義についてはフワッとしておきます。 僕自身もあんまりちゃんと決めてないので。あと「お前もできてないやんけ」みたいなツッコミもなしで。僕そもそも長編しか書けない人なんで(へっぴり腰)。

 話を戻して。

 短編になぜ「切れ味」が求められるのか? というと、まあ簡単な話で単に「それを求めるしかないから」だと思います。物語というのは短くなるほど、単なる「情報」としての側面が強くなってしまうものです。そうなると価値の基準として情報それ自体の価値に焦点があたってしまう。

 ネットの記事とか想像すればいいんですが、知ってる情報には価値はないですよね。あるある的な共感はあるかもしれないですが、情報自体に価値はない。たとえば「毎日ちゃんと歯磨きをしたほうがいい」というのは誰でも知っていることで、改めてそんなことを言われてもべつにその記事に価値はない。だけど「寝る前に歯磨きをするのは害悪である」とか言われたら、そんなことは(真偽はともかく)大半のことは知らない情報でしょう。いや実際に害悪かどうかは関係なく、情報として「未知である」がゆえに価値が見出されるとか、そういうことです。

 じゃあ長編はどうなのか? というと、長編は求められるものが違います。長編になるほど物語には「体験」が求められる。それは情報としての価値を求めているわけではない。物語世界において何が起こり、それを追体験し、様々なキャラクターの目からそれを知るという「体験」にこそ価値がある。短編とはそもそも求めるものがまったく違うわけです。それは一人称だろうが三人称だろうが、基本的に視線の位置が変わるだけで不変のことです。長編においては、体験としての稀少さにまず第一の価値が置かれるものだと思います(私見です)。

 で、そういった価値判断基準の御託を述べたうえで、彼の短編について自分がどう感じたかですが――その点においては、三作とも短編でありながら「体験」を描こうとしている(というかその区別があんまりついてない)惜しい内容になってしまっていると思う。特に表題作の『アカーシャの舷窓』について。

 これは本人にも伝えましたが『アカーシャの舷窓』で描かれるさまざまなマクロ設定は、なるほどこれは彼にしか思いつかないだろうなというオリジナリティのあるアイデアなんですが、そのアイデアの使い方というか、見せ方が短編なのか長編なのか曖昧な処理になってしまっている。いうなれば物語の『ダイジェスト版』になってしまっていて、素材からすれば長編的な体験の積みかさねの果てに「こんな衝撃の新事実でしたドーン!!!!!!!!!!!!!」とやるのが効果的なアイデアなのに、短編ともどっち付かずの描き方なので、いまいち衝撃的に受け止められないというか。

 たぶん本人としてもまだ、短編の処理と長編の処理の違いについて腑に落ちてない段階なんだと思います(すごくえらそうな発言)。アイデア自体はすばらしくて、実際、デザイン関連の打合せをした際に「こんな感じの内容なんですけど……」と聞いたときはめちゃ面白そうに思ったので、やはりこれは小説の技術的な見せ方の問題でしょう。長編的な「体験としての新事実開陳」をすべきだったのか、それとも短編的な「サラリと重大事実を告げてトントンと話を畳む」方法でいくべきだったのか(他にもいろいろやりかたありますが)。何にせよ、そのあたりの方向が曖昧だったことが一番の問題なのではないかと思います。

 『アカーシャの舷窓』についていえば、個人的には長編的な情報開示と、短編的な情報開示、どっちでやるのもありなネタだとは思うのですが、いかんせん彼が「描きたいもの」としては「長編的な体験」のほうだと思うんですよね。 それを短編で実現させようとしてしまったが故に、中途半端な描き方になってしまってるなあと。おそらく、この内容を(アカーシャの舷窓の内容を)そのまま圧縮せず長編として書いていたなら相当おもしろい話になっていたでしょうが、まあそこはそれというか、長編でも短編でも常に百点満点をだせる作家など存在しないので、今回はこれで良かったのだと思います。むしろ、彼の小説書きのキャリアとして考えるなら「このレベルの失敗」をこの段階(書き始めて数年)でできるのは素晴らしいことで、今回の短編チャレンジは全然大成功だとすら割と本気で思います。 この一作で、長編向きの資質の持ち主だということは明らかになったと思うので、今後の身の振り方としても必ず役に立ちますしね(えらそう)。

 なお『海の蜻蛉、妖精の幻』『ブルースフィア・サブマリンショウ』の2短編はリズム感もそれほど悪くなくて、ちゃんと短編として成立していると思います。なので面白かったのですが、だから余計に表題作における題材と描き方のコンフリクト感?というか、チグハグ感が目立ったんでしょうね。

 

 §

 

  微妙に話がつながっていないので、前フリを回収しておくと、そもそも本当は短編でいくなら、キャラクター重視でいくのか、世界観・世界設定重視でいくのかの舵取りも事前に決めておくべきだったのだと思います。

 ありかさんの場合、興味関心がどちらにも向いていると思うのですが、しかしどちらも十分に満たしながら短編を処理するのはこれは非常に難しいと思うんですよね。基本的にキャラクターと世界というのは排反しがちなもので、どちらかと書けばどちらかが足りなくなる傾向が強いものなんです。長編ならばその辺りを尺の長さで解決できたりするのですが、短編だとやはりどちらかに全振りしないと難しい。その点、収録している三作ともキャラクター:世界=3:7とか4:6そのまま全部そんな感じだったので、それは確かに処理しきるのは難しいよな、みたいに思いました。世界設定自体が十分に魅力的なものにできていると思うので、たぶん僕以外の読者的にも、世界の設定開陳がメインの短編を書いたとしても割りと受け容れられそうな辺りは、彼の強みだと思います。

 

■まとめ

 偉そうに色々書きましたが、まあ実際難しいんですよね。僕も短編とか上手く書けないし(えー)。とはいえ、長編というのも結局は「短編の集合体」でしかない面もあり、短編のスキルは確実に長編にも活かされるものです(逆に、長編ばっかり書いていてもなんだかんだで短編的なスキルも身についたりするものだと思います。手前味噌ですが、実際自分は、以前は短い話まったく書けなかったけどなんとか書けるようになったし)。そんなわけでまあ、厳しいこともちょいちょい書いたのですが、彼ならば問題なく乗り越えられることでしょう(えらそう)。

 あとこれは余談なのですが、彼の書く小説からは……なんだろう? 何故なのかいつも猛烈な男性不信(というのか?)を感じるのがいつもすごく不思議で驚かされるんですよね。心造少女もそうだし、ブルースフィア(略)もそういう話だったので、なんでこういう認識になるんだろう……といつも目を丸くさせられます。まあ、このあたりは『心造少女』が「まさに!」という題材だと思うので(マルドゥクシリーズが土台になっているようですが)、なるほど目の付け所が良いなと思うとこでもあります。以前の記事でも書きましたが、『フィニクスフヴォースト』シリーズは3巻の物語の処理の仕方がちょっとうまくなかったので、『心造少女』ではそれが題材として十全に描ききれることを期待したいですね。

 では、このあたりで。