フィクションが「現実を拡張する」という画期的なコンセプト

 知人かつ友人の渡辺零さんが、コミックマーケット91で頒布する新刊同人小説『ordinary346』の告知をしました。

 彼が主催するサークル「渡辺書房」の同人小説は『電脳軍事探偵あきつ丸』を始めとして、コンセプトがいずれも非常に優れており興味深いのですが、前著の『宮本フレデリカさんのこと』から連なる今回の新刊は、殊更コンセプト的に非常に興味深いものがあります。個人的にもいろいろと発見があったので、思考をまとめるためにちょっと文章に起こそうと思い記事を書くに到りました。

 

・フィクションが現実を「拡張」する

  前回もそうですが、彼の企画で優れている点としてなるほどと膝を打つのは「フィクションが現実を拡張する」という概念を物語の世界に持ち込んでいる点だと思います。これはたとえばライトノベルの世界や漫画の世界でも、おそらくほとんど持ち込まれていない概念で、非常に画期的なコンセプトです。

 どういうことか簡単にまとめてみます。前作の『宮本フレデリカさんのこと』といい今回の新刊といい、加えて彼や彼の周囲が日頃からTwitterで呟いていることといい、共通しているのは、架空のキャラクターがあたかもこの現実に実際に存在しているかのように思考している、という点です。

 たとえば彼らはアイドルマスターシンデレラガールズに登場する少女たち・アイドルが、現実のテレビ番組――たとえば『「笑っていいとも」に出演してタモさんに恒例の「髪切った?」と聞かれた』だとか『オールナイトニッポン(ラジオ番組)でパーソナリティを勤めておりこんな話題を持ち出した』だとか、そんなふうに現実に宮本フレデリカだとか速水奏だとかが、実際にぼくらがいる世界に存在しているかのように想像力を働かせています。

 彼らがそんなことで与太話をしているのを横で眺めながら、当初は私も「はー、まあそんなことになってたらおもしろいよねー」くらいにしか考えていなかったのですが(※節穴)、その概念がインストールされてくるにつれ、なるほどこれは画期的なコンセプトだったんだなと理解できるようになってきました。端的に言えば、彼らはつまり「拡張現実(AR)」をフィクションで実現させている

 繰り返しますが、正直私はこのテーマで彼らがキャッフキャッフとはしゃぐ理由がさっぱりわかっていませんでした。概念のコアが理解できていなかったんですね。漠然とはわかっていたような気もしますが、そこまで面白いものか?と思っていた。ただこれが拡張現実的なものなのだと理解して初めて「あ、面白い!」と感じるようになりました。これまで漫画でも小説でも、そういった概念で構築されたフィクションはほとんど存在していないからです。

 

・IFではなくAR(たぶん)

  ポイントはこれは「IF(もしも~だったならば)とは違う」という点でしょう。もしこの世界に速水奏宮本フレデリカがいればどうなっていただろう? という発想で描かれているのではなく、彼らは事実として現実に宮本フレデリカがいるという前提でものを考えている。書いてて私も何をいっているのかさっぱりわかりませんが(笑)、でも、どうやら彼らがそういうふうに思考しているのだから仕方ない。

 「IF」というのは事実の組み換えですが、拡張現実=ARは文字通り、現実を広げるという概念です。彼らはこの世界を組み替えて架空のアイドルがいるということがしたいのではなく、この世界にアイドルがいたという世界に広げたいのです(たぶん)。説明がむずかしいところですが、おそらく明らかに「IF」を志向しているコンセプトではないと思います。

 二次創作にはさまざまなパターンが存在します。それはたとえばIFだとか、時間逆行だとか、関係だけにフォーカスしたものだとか、いろいろありますが、殆どは類型化できるものです。ただそのなかに「AR」っていうのはたぶんなかった。その点でも非常に画期的だと思います。

 

・文脈としての新規性

 

 概念としてはだいたい上記の通りだと思いますが(誤解している点もありそうですが)、これの何が新しいって、フィクションはフィクション、現実は現実、とぱっきりと二色に描かれていた世界が融合することを示しているからだと思うんですね。

 たぶんつぶさに見ていけば、そういうことを考えたフィクションはあったのだろうと思います。ただ、そもそも「アイドル」の文脈でそれをやろうとした例は非常に少なかっただろうことと、アイドルというものそれ自体の性質が、この「フィクションによるAR」と親和性が高かったことが大きいのでしょう。

 まあ一応付け加えておくと、そもそも『アイドルマスターシンデレラガールズ』自体が、SMAP中居正広がゲームに登場したり広告として出てきたりなど、元からそういった現実とフィクションの融合的志向を持っていたコンテンツだということもあって、さすがに彼がゼロから考えだしたコンセプトではないとは思いますが(※若干余計な一言感)。といっても、たぶんシンデレラガールズのほうはこのコンセプトを理解して展開しているコンテンツではない気がしますが。

 

・ハイコンテクストゆえの問題点

 この「フィクションによるAR」という概念自体は非常に新しいコンセプトだと思いますが、同時に問題点もあるといえるので、それについても触れておきます。端的にいえば、このコンセプトは非常に「わかりづらい」。

 渡辺さんがこの概念に気づき始めたのは1年前あたりからだと思いますが、私なんかはもとからアイドルものがそんな好きじゃないこともあって、概念をインストールするまでイコール1年かかっているわけですよね。友達のゆうやくんに小一時間説明されて、実際に『宮本フレデリカさんのこと』を軽く読んでみて、それでも一年掛かってるんだものw

 つまり、それだけハイコンテクスト(ようするにわかりづらい)な概念だということです。たぶん概念の核までちゃんと理解している人は現状そんなに多くないでしょう。理解されないということはつまり、多くの人に届かないということでもある。それがちょっと勿体無いなーと思ったりします。

 たとえばUSBメモリの話をしましょう。

 いまでは誰でもあたりまえに使うUSBメモリですが、これが開発される当初は、経営陣にコンセプトがさっぱり理解されなかったといわれています。当時はFTPをもちいてファイルをやりとりするのが一般的で、フロッピーディスクも存在し、わざわざUSBを使う理由が理解できなかったというのが理解まで時間がかかった大きな理由のようです。

 詳細は以下リンクから見るとよくわかりますが、この濱口秀司さんのUSBメモリの開発過程=イノベーションの実現過程は非常に面白いのでおすすめです。濱口秀司さんのイノベーションを「意図的に」設計する過程は創作でもなんでも、企画づくりにおいて非常に役立つ理論です。めっちゃべんり。

diamond.jp

 今ではもはや常識にさえなったUSBメモリですが(というかすでに古びつつありますが)、これが経営陣に理解されるまで「2日間必死に説明して、ようやくすごいと言ってもらえるところまで辿り着いた」そうです。この一例だけでも新しいコンセプトを受け入れられるのは簡単なことではないとわかりますよね。新しい概念というのは、それだけ理解するのが難しいんです。

  たとえばiPhoneとかもそうですよね。発表当時は何が騒ぎで何があたらしいのかよくわかりませんでした。一度触れば一発でわかりましたが、どれだけ説明されても、画期的かどうかは実際の手触りを含めて理解されるものなので、非常に受け入れられるのが難しい。

 「 フィクションによるAR」というのは非常にあたらしいコンセプトだと思うし、かなりの鉱脈だとも思います。が、更に一般化するにはもっと大きなところの手を借りないと難しい気がします(もっとも彼がそれを望んでいるのかはわかりませんが)。個人的にはせっかくいいコンセプトなんだから、もっと多くの人に認められ評価されるべきだと思いますが。

 出版社とかがうまく関われば最低でも十万部レベルで売れる企画になりうると個人的には思いますが、編集者はどう見ているのか気になるところです。……つっても、出版編集たちはどうも同人小説界にまったく興味関心を向けていないようですが。