(ネタバレなし)『ペルソナ5』クリア後感想

 

ペルソナ5 - PS4

ペルソナ5 - PS4

 

  ようやく『ペルソナ5』をクリアしたので、その感想を約7000字ほど……ちょっとだけ書きましたTwitterでもちょこちょこ書いてきましたが、総括してまとめる場が欲しかったので一つのテーマ「仲間づくり」という視点で整理した感想です。

 そもそも僕は、このゲームを始めるつもりはプレイ前はほとんど欠片も持っていなくて、『ペルソナ』というシリーズが人気であることなどはもちろん知っていたのですが「へー、シリーズ最新作が出るんだー」くらいのめちゃくちゃ軽い気持ちでした。

 正直「有名なゲームだし、そろそろ文脈を押さえるためにも、とりあえずDL購入だけして、他のゲーム(世界樹の迷宮5)をやりつつちょっとずつ遊ぶかな~(笑)」、と思っていたのですが、いざ購入してゲームを起動した結果、クリアまで(104時間)ひたすら遊ばされる羽目になるとは思いもしませんでした。ほんとなんなんだよこのゲーム……麻薬かよ……。

 ここまでどっぷりゲームの世界に浸ったのは本当に久しぶりの体験で、自分自身かなり驚きを感じながらここ二週間は、日常におけるすべての時間を費やしてプレイしていました。すばらしいゲーム体験でした。製作したアトラスには心からありがとうと言いたい気持ちです。

 

【自分にとってのRPG

 個人史的な話をまずしておくと、ぼくは非常にRPGというものが好きな人間でして。小中学生からゲームばかりしていた人間だったわけですが、遊ぶジャンルはもっぱらRPGでした。つっても、遊んでたのはFFだとかDQだとか有名どころがメインで、その他にも主要なものをちょこちょこ拾うような感じだったんですが、それでも間違いなく自分の青春期を形成してきた要素にはRPG(というかより正確にいうなら「JRPG」というヤツでしょうが)が関わってきていたわけです。

 なのでRPGに対してはそれなりに一家言あるというか、むしろJRPGが持つ特有の文脈には飽き飽きしていた部分もあったというか、ペルソナに対して遊ぶ前はそんなに期待していなかったというのもその辺にあったわけです。その辺の認識……というか不満点をペルソナ5はごそっと覆してくれました。この点には本当に拍手を贈りたいなーと、ゲームをクリアしたいま感じます。

 

【個人的なRPG文脈におけるペルソナ5】

 RPG文脈においてペルソナ5(というかペルソナシリーズ? 確実になったのはたぶんペルソナ4)が画期的だったのは、おそらく「チームビルディング」に関わる部分だと思うんですよね。チーム、というとちょっと大仰だけど、要するに「友達づくり」のことです。ここがペルソナは感心するくらい本当によく出来ていた。JRPGで個人的に一番かかえていた不満ってのはまさに「ココ」で、これがあまりにも不出来というかお粗末で、RPGから遠ざかっていったんですよ。

 そもそもなぜRPGの世界で友達づくりが重視されたのか、というとそれはマーケティング的な観点と社会的な観点のふたつが挙げられると思います。マーケティング的な視線でいうと「いろんなキャラクターを出しておけば、いろんなユーザーに対して訴求力を持たせることができる」ということ。社会的な視線でいうと「近代化した社会ではヨコの繋がり(=友達やらの薄い関係)が絶たれてしまう傾向があるため、共同体に属することが求められる」ということ。

 マーケティング的な話はわかりやすいですよね。要するに、クールなキャラとか熱血なキャラとか、美少女とかメガネっ娘とか、いろんな要素をひとつの作品内に詰め込んだ方がいいよって話。なぜならユーザな嗜好が多種多様になっているため、できるかぎり広い層を捉えるようにつくったほうが、結果(売上)に直結するから。その要求と「仲間づくり」っていうのは非常に相性が良いわけです。いろんなキャラクターを出すことに対して、合理的な理由を用意することができるから。

 社会的な観点での話もそんなむずかしいことじゃなくて、近現代の都市社会というのは本質的に人と人の繋がりが希薄になる傾向があります。これは感覚的に理解できることかと思いますが、この辺りの話は、宮台真司さんの著書(社会学系の話ですね)とかあたればわかることですかね。共同体が絶たれて核家族化の進行がすすんでしまうと、どんどん人との関わりが薄くなるっていう。なので、その社会構造からくる欲望にこたえるかたちとして「仲間づくり(共同体づくり)」は非常にマッチするわけです。

 というわけでマーケティング的な観点」「社会的な観点」から見たときに非常に「仲間づくり」の話は、そもそも現代ではウケやすいわけです(若干暴論気味)。

 これはいろんなフィクションでも採用されているものです。特撮とかでも「仮面ライダーフォーゼ」とかそんな感じの話だったし、まあ探せばいくらでもみつかる類型です(後述しますがフォーゼなんかはもろに問題発生させてましたが)。

 で……これに応えるためのフィクションとして、RPGは非常にマッチしていました。もともとRPGというヤツは、それ以前のTRPGからの文化をゲームに持ち込んだものだと理解していますが、TRPGが持つ「複数人でのごっこ遊び」というのが、RPG内で「パーティを組む」「チームをつくる」という要素に流れていったのだと思っています。初期ではドラクエがそうだったように、仲間をつくって遊ぶというのがRPGにおける重要なポイントだったと思います。いやまあざっくりとした理解ですが、だいたいそんな感じで理解していますよ、という話で。

 そんなわけでRPGでは「仲間づくり」という概念がジャンル内で発達していくことになり、それはFFやらDQやら、いろんなRPGで波及していくわけです。とりわけ「テイルズ」シリーズなんかはキャラクターをウリにしており、この辺りの要素を使って売ったゲームなんだろなー、と思っているんですが(それ以外にももちろんあるでしょうけど、ここでは無視)、「仲間づくり」概念が発達していくに従って、ユーザ側の要望や要求も厳しくなっていくわけです。というか僕の要求が厳しくなったわけです。

 特にテイルズシリーズを遊んでいた時に深く抱えていた不満で、僕はこれを「仲良しこよし問題」と呼んで唾棄しているのですが(なんじゃそら)、物語内でその仲間たちが話を進めていくに従って「仲間たちがいればそれだけでオッケー」感というか「仲間たちと一緒ならなんでもできるぜヒャッハー」感というか、もっといえば「そもそもお前ら仲間でもなんでもないだろ」感とか、そういう感じが漂ってくるんです。

 これはつまるところ「仲間づくり」バージョンでの「俺TUEEEEEE」だと思ってくれればよいでしょう。「仲間」であることの心地よさを強化し続けた結果、仲間であることのインフレが進み、「俺達ならなんでもできる!!!!!!」という感覚がすすんでしまうということです。で、これが極度化することで何がまずいのかというとようは「醒める」んですよ。

 「はあ……そりゃ仲間たちが大事かもしれんけどさ……」とか「ああ、はいはい。いつもどおりお前たち仲良しなのね、はいはい」という気持ちが、プレイ中にこみ上げてきてなんともやるせない気持ちになるわけです。

 特にテイルズなんかものすごくて、1作だけ遊ぶならまだともかく、シリーズをずっと続けて遊んでいると、同じことの繰り返しなので「お前らほんといいかげんにしろよ!!!!!!!!!!!!(激怒)」とどうしても思ってしまうわけですよ。テイルズシリーズは「ジアビス」までひととおり遊んでますが、この問題をうまく解決できている作品は皆無だったと思います。

 で、つまり何が言いたいのかというと、『ペルソナ5』はこの辺の僕が感じていた不満をほとんどについて見事に解決していた(!)ということなのです。

 

【ペルソナ5が取った「仲間づくり」問題の解決策】

 んでまあ、この「仲間すぎてけまらしい」問題への対処策は、ペルソナ5ではめちゃくちゃ全うというか「ド」がつくほどの正攻法だったわけですが。具体的に執り行った対処はパッと思いつく感じでは以下のふたつに大別されると思います。

<対処策>

・対処策①:キャラクターの実存を丁寧に描き、また強くユーザが共感してしまう過去などの設定を用意する(その為の「ペルソナ」という設定)。

・対処策②:「怪盗団」という太い一本の線(物語としての目的)を用意することで、キャラクターたちに強い共同体を形成させる。

・対処策③:ゲームシステム側(というかバトルシステム側)で「仲間」感を損なわないような工夫・対処

 もう、ほんとにめちゃくちゃなド直球です。これでもかってくらいに当たり前中の当たり前な対処です。一切奇をてらわない方法で、ペルソナ5は「仲間づくり」に取り組んでいました。

 ……でもね、これこそが一番重要で一番難しい部分なんですよ。ここの作り甘い作品はもうRPGで嫌になるほど見てきました。ペルソナ5はとにかく上記の対処策が、おどろくほどに丁寧でした。

 そもそもなんでユーザが遊んでて「こいつら仲良しすぎてけまらしい」って感じてしまうかっていうとね、単純にキャラクターのことが好きじゃないからなんですよ。魅力が足りないからなんですよ。たとえるならリア充たちが渋谷でヒャッハーしながら下品にゲラゲラ笑っているのを眺める」のに近い感覚でしょうか。

 テイルズにひたすら文句いうマンなのでテイルズを例にして文句を言いますが、要するに、せいぜいキャラクターデザインとしての魅力とかでしかキャラクターをアピールすることができていない話が多すぎなんですよ。キャラクターがなぜその世界で生きていて、何を目的にして生活していて、どんな苦しみを抱えているのか、というキャラクターを描く際に絶対に必要になるものに対する描写が甘いんです。描いていても、それが共感を誘うつくりになっていない。まあ大企業だと利害の調整でそういった部分が削られるってのはあるんでしょうがね。

 

【キャラクターの魅力を感じさせる手法】

「感情」から書く脚本術  心を奪って釘づけにする物語の書き方

「感情」から書く脚本術 心を奪って釘づけにする物語の書き方

 

 『感情から書く脚本術』なんかでも言及されていますが、受け手に対してキャラクターの魅力を感じてもらう手法っていうのは、ある程度確立されています。具体的にはパターンとしては以下の3つ。

1)「受け手に憧れさせるような造形にする」

2)「人間らしさのある魅力をもたせる」

3)「理不尽な目に遭わせて共感させる」

 というもの。

 1)はたとえば「銀河英雄伝説」に出てくるキャラクターなんかが良い例になるかなと思います。ラインハルトとか非の打ち所がない理想の君主であるわけですが、そのあまりの完全さに焦がれるような造形ですよね。ただ、もちろんそれだけじゃなくて、ところどころ2)のような人間的な魅力もだしたりしていますが(一夜を過ごしたあと、慌てて求婚しにいったりとか)。

 3)については、これは「判官贔屓」という言葉を考えていただければすぐに理解できることだと思います。ようするに人間が持つ生理的な機能として、弱者にたいしては共感してしまうわけです。あんまりにも酷い目にあっている人間を目の前にすると、人間は否応無しに肩を持ちたくなるわけですね(そういう人間的機能が壊れている人もいますがそれは例外)。

 『ペルソナ5』はこの3つの手法をどれも上手く組み合わせて使っていますが、特に強く効果的に利用しているのは、3)の「理不尽な目に遭わせる」というもの。作中にでてくるキャラクターは、ことごとく理不尽な運命に遭遇しています。

 主人公からしてまず、女性を助けたはずなのに相手が権力を傘に横暴を振りまく国会銀だったため、冤罪で高校生にして前歴持ちで都会に引っ越しさせられる、という目に遭っているし、その他のキャラクターも全員同様。おもわず「ひどい……」と言いたくなるような出来事に遭遇しているところから話が始まっている。(しかもその設定が「ペルソナ」の覚醒と設定的にも物語的にもつながっているところがめちゃくちゃ上手い!)

 この「理不尽さ」加減が強烈なので、プレイしてると否応無しに肩を持ちたくなってしまうんですよね。その上、RPG……というかゲームというものはそもそも「ただボタンを押すだけで」感情移入を誘うメディアなので、更にその感情が強化されるわけです。

 先日、元ジャンプ編集者であるトリシマさんのインタビューでもありましたが、「キャラクターが好きになると他人事じゃなくなる」んですよ。

news.denfaminicogamer.jp

 ほんのささいな出来事であっても、他人事じゃなくなるから、物語で起こることがものすごい出来事のように感じられる。『ペルソナ5』は本当にそれが実感できるゲームで、ちょっとした別れとか勇気をだした真実の吐露とか、ただそれだけで思わず涙ぐんでしまう。後半のね……双葉ちゃんのセリフとかもうね……もう涙声であんなこと言われたら泣いちゃいますよもう。まじで最高だった……。

 

【バトルシステム側における「仲間」感を損なわない工夫】

  対処策③の「バトルシステムによる「仲間」感を損なわないような工夫・対処」についても触れておくと、これもまた非常に「よく考えたな!」って感じなんですが、要するに「戦闘で要らないキャラクターがいない」。

 たとえばテイルズでもFFでもDQでもぜんぶそうですが、基本的に戦闘でつかうキャラクターってのは、基本的に最初から最後まで、クリアするまでずっと固定することになると思うんですよね。なぜかというと、使い慣れたキャラクターで戦ったほうが強い敵にも勝ちやすかったり、そもそも戦闘に出していないサブキャラクターには経験値が入らずメインキャラとの間にレベル格差が生じてしまうため、強い敵と戦うには使い続けたキャラクターを使わざるを得ないという理由があったりします。その他にもそもそも各キャラクター間の差別化があまりなされていないので、単純に好きなキャラクターだけを使って、他のキャラクターを使わなければそれで済む、というシステム側での問題があります。

 その結果、どんな問題が起こるかというと、シナリオ中では「みんな仲良し!」なのに、戦闘では明らかに「役立たずキャラ」が存在するという、システムとシナリオの乖離が発生する。そうなるといくらキャラクターたちが「俺達は仲間だ!!!!!!!!!!」とか強弁していても、プレイヤーは「いやこいつ戦闘に出してもただのお荷物じゃねーか」と醒めた気持ちになってしまうわけです。ここが個人的にはめちゃくちゃ不満だった。

 ……で『ペルソナ』はこの3つの問題(「使い慣れたキャラのほうが強い」「レベル格差が生じてしまう」「キャラクター間に差別化がない」)をすべて解決しているんですよね。

 具体的には、いわゆる戦闘における属性(火とか水とか風とか)を沢山用意し、各キャラクターに配置することでその問題を解決している。ただそれだけなら他のRPGでもやってることなんですが、戦闘で弱点属性を突くことが非常に重く意味づけられているバトルシステムなので、弱点属性を突かれればめちゃくちゃ不利になるし、逆に敵の弱点属性を突けばめちゃくちゃ有利になる。

 なので、積極的に敵の属性にあわせてサブキャラクターとメインキャラクターを入れ替えていかないと、常に苦しい戦いを強いられることになる(いわゆる縛りプレイになってしまう)。その結果、どうなるかというと、頻繁に戦闘キャラクターを入れ替えることになる。

  しかもサブキャラクターにもちゃんと経験値が入るようになっているし、話を進めれば戦闘中にメンバーの入れ替えもできるようになるため、むしろキャラを入れ替えたほうが戦闘が楽になるし、積極的に入れ替えたほうが楽しいんです。終盤になれば、弱点を突いたり突かれたりで相当シビアな戦いを強いられることになるし、一筋縄で攻略できずいろいろ頭を使うことになるわけで、それもまた非常に楽しくて……いやほんとに見事でした。

 あと、これはネタバレなので言えませんが、しかもその属性をうまく利用してシナリオにミスリード仕掛けてたりとかホントもうね……何なの????やりすぎでしょ?????って感じです。

 

【まとめ】 

 以上は「仲間づくり」という視点で『ペルソナ5』めっちゃよく出来てた面白かった!!!!!というお話なのですが、その他にも良い点はほんとうにたくさんありました。何にしても『ペルソナ5』を遊んでみてとにかく感心したのは、作中に登場する要素がすべて有機的に関連しているという点です。

 日常のイベントもめちゃくちゃ楽しかったし、コープランク上げれば戦闘が楽になったりとか、シナリオの水準でも「怪盗団」であることの必然性がすごく伝わってくるんですよ。いやほんとよくここまで練り込んだもんです。製作に8年くらい掛かったみたいですが、ものすごい執念ですね。ドン引きですよ。

 とにかく百時間かかるくらい長いゲームなんですが、脚本レベルでも最後までプレイさせる工夫が仕掛けられている点も良かった。ゲーム冒頭で主人公は捕らえられて、拘置所で取り調べをうけながら怪盗団が行った事件を回想するという形の展開なのですが、これによって少なくともその時間軸に追いつくまでにずっとプレイヤーが飽きないような構成になっているわけです(実際そこに追いつくまで70時間くらいかかる)。しかも追いついてからがますます怒涛の展開になっていて、そこまで辿り着いたらもうクリアまで行くしかないという感じで……。

 話の落ちについても素晴らしくて、この設定だと「ペルソナの力を最終的に失うことになる」という落ちにするのは絶対必要なことなんですが(でなければ主人公たちだけが異世界に行けるという特権的な地位に有り続ける=腐敗した大人たちになってしまうという構造になり、シナリオ的矛盾が発生する)、その収拾のさせかたがとても納得できるもので、最高に爽やかだった……。最高です。

 なんか最後は話が散漫になりましたが、ネタバレにならない範囲で自分はプレイしたところこういう感想を得ました、という話でした。ペルソナの名前自体は聞いていましたが、いやはや、まさかここまで傑作だとは思わなかったです。青年期の頃にもどったみたいに貪るようにゲームをするという経験ができて、本当に嬉しかったですね。

 というわけで、みんなもマジで遊んでくれよな!!!!!!!!!!!!(ダイレクトマーケティング

ペルソナ5 - PS4

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