ダンガンロンパ3未来編・絶望編・希望編の総括した感想

 ダンガンロンパ3「未来編」「絶望編」「希望編」について。

 当然ながらネタバレありの感想。全話視聴した結果としては、残念な出来になってしまったな、というのが偽らざる率直な気持ち。

 仮に点数をつければ、ダンガンロンパが87点、スーパーダンガンロンパ2が96点、絶対絶望少女が91点、とするとアニメシリーズのダンガンロンパ3は62点くらい。総じて出来はよくなかったと思います(絶望編の序盤除く)。

 シリーズ全体の構成として小高和剛さんが参加したことで、全体としては見た時に要所のつくりはそれほど悪くなかったとも思うのですが、だからこそ最終話まで視聴したともいえるし、すべての場面を小高さんが作り込まなかったからこそ、これだけ微妙な出来になってしまったともいえるように思います。

 ざっくりと整理すると以下の問題がある作品だと思う。

 

【物語の構造にかかわる問題】

・3で初登場したキャラクターが、自分達のダメダメ加減を晒すためだけに登場し、だめだめ加減を晒すだけで退場してしまった(後始末が1・2キャラに投げっぱなしになっている)ので、非常に後味が悪い。問題の類型的にはガンダムSEEDデスティニーに近い。特に逆蔵・宗方・雪染の三人はメインだけに重症。細かい演出ミスも多くて、逆蔵は特に「オレもお人好しだよな」とか、おまえそれはツッコミ待ちか!?という。ちなみに逆蔵が宗方のほうを好きだった、というのも本当に必要な設定なのかと考えると微妙と言わざるをえない。むしろ雪染を好きだったほうがストレートに心に訴えたと思うし、そうしても特に違和感なく成立する話になっている。しかも自分の保身のためだけに(=自分の恋を隠すためだけに)、江ノ島盾子の正体を伝えなかったというのは、もうまったく擁護できない設定になってしまっていて、ひたすらに後味がわるい。

・2のキャラクターたちが絶望落ちする原因であり、世界中を絶望に落とさせた原因でもあるものとして用意された「絶望ビデオ」の存在によって、2のキャラたちが「もともと絶望的なものに染まる資質があった」というキャラクター性が、実はそうではなかったと書き換えられてしまっている。これは2のキャラクターが好きだった人間にとってはストレス。「2って一体なんだったの?」と思われても無理はない。というか思った。リアリティバランス的にも「絶望ビデオ」で世界中を洗脳したというのは、けっこうギリギリアウトっぽい。

・御手洗亮太を説得するのが、同じ77期生である2のキャラクターたちという構図自体は問題ないが、実際に御手洗亮太が77期生たちと触れ合っている描写が非常に少ないため説得力に欠ける。御手洗と直接接触があったのは、詐欺師と罪木蜜柑くらいで、日向に至っては初対面。これでは最終話の展開を納得させるのは厳しいと言わざるを得ない。

死ぬ死ぬ詐欺を繰り返しすぎ。朝日奈、霧切に加えて、七海についても死ぬ死ぬ詐欺を行っており、なんと一作中で3回も行っている。展開上、絶対に必要だったのは霧切響子だけだったと思う。朝日奈はやる必要なかったし、七海は死んだままのほうがまだ良かったかもしれない。それどころか、2のキャラクターはほぼ全員蘇生しているわけで……。いくらなんでもやりすぎ。朝日奈を死んだと見せかけたのは、後に霧切が死んだと見せかけたことに対して「いくらなんでも2回も死ぬ死ぬ詐欺をすることはないだろう……」と読者に感じさせ、本当に死んだのかと考えさせるためだろうけど、それは上手くいったのが半分と、失敗したのが半分だったと思う。最後に2のキャラを復活させさえしなければなあ……。

・未来編序盤はバトルシーンが続くが、べつにダンガンロンパにバトルシーンなど誰も期待していない。しかも未来編で初登場したキャラ同士がバトルしていても、誰に対しても何の思い入れもないため、めちゃくちゃ「他人事」にしか感じず、面白さが皆無。

・宗方京介の掲げる「希望ヶ峰学園の改革」の実像がまったく説明されないため、彼の理想があまりにも薄っぺらく聞こえる。それに付随して、苗木誠も「キボウガーキボウガー」と繰り返すだけで、議論としての面白みにも欠けてしまっている。また、宗方の理想の具体論がないため、雪染と逆蔵が彼を慕う理由にもまったく共感できないため、ますます「他人事」化が促進されてしまっている。

・上記の不満足点に加えて、絶望編や未来編は途中からひたすらリョナ的展開が続き鬱屈としているため、カタルシスが上手く行っていないため、ますます不満足な状態に……。

 

【演出・表現にかかわる問題】

・ウリにすべき面白いポイントの演出がことごとく弱い。たとえば未来機関の建物が建物の地上にあるのではなく、地下(海面より下)にあるという物理トリックの演出なんかはあまりにも弱すぎる。小高さん的にはミステリーのトリックとして「えっ!?」と思わせたいのだろうし、何度も地上の建物像をみせてミスリードを誘ってもいるが、演出が貧弱なためまったく驚くことができない。おそらくこれは製作状況にも起因する問題で、スケジュール的な余裕のなさも関係していたと思う。

・その他にも、絶望ビデオに対する「希望ビデオ」の存在とか、日向のオッドアイ化についても、ただそこに「設定」があるだけの段取り的演出しかできておらず、その意味を強調することができていない。

・全体的に演出が貧弱。顔のアップばかりが続いて、いかにも「今製作がピンチです!!!!!!!」と伝わってくるアニメになっていたのはひたすら残念(しかも3~4話あたりからそうだったので、めちゃくちゃげんなりした)。

 

【まとめ】

 ただ、これだけ多数の問題を抱えまくっているにも関わらず、「それでも」なんだかんだで最後まで見させたのは、間違いなくシナリオの力があったからというのもまた事実だと思う。ふつうこれだけ問題があったら、途中で見るのをやめるもん。

 だから、その点は小高さんの功績だと思うけど、ダンガンロンパ1・2や絶対絶望少女をプレイしている身からすると、アニメがこの出来じゃあ、全然、まったく、物足りない……。彼なら間違いなくもっとやれたはずだと思うし、間違いなくやりたかったと思う。あんまりにもひどい出来だもの。まあ表では絶対に悔いを表明することはできないだろうけど、これで納得はできないだろう。あくまで推察だけどね。

 本作は「ダンガンロンパ」と「スーパーダンガンロンパ2」と「絶対絶望少女」と続いたシリーズを総括する完結作として作られたわけだけど、その最終作がこれだけ不完全燃焼感のある作品になってしまったのは、ただただ残念。

 小高和剛さんは「ダンガンロンパファンの手元に残したくなる究極のファンアイテム」を目指していたみたいだけれど(ツイッターでの言及より)、この出来では、むしろ消し去りたい過去といったほうがまだ的確になってしまっているのは本当に皮肉だと思う。絶望編の序盤あたりは本当に出来がよかっただけに尚更。

 思うに、小高和剛さんはやはりミステリー作家であるだけあって、ある特定のクローズドな環境のなかでの話づくりをさせると非常に優秀なのだけど、今作のようにマクロな論理的整合性を求められる、回収させる展開を作らせるとボロが出てしまう傾向があると思う。たぶんもともと伏線の回収はうまくない人なんじゃないか? と思う。2ですらいろいろと「それでいいのか」的投げっぱなし設定は多かったわけだし。

 本来ならそれをサポートするのが監督やその他スタッフの仕事だと思うんだけれど、生憎それはできていないと思うし、むしろおんぶにだっこになってしまっていたのが実情じゃないかと思う。はっきり言えば、岸監督にはちょっと手が余っていたと思う。

 ただ企画として毎週2話放送というのは、これまでにない体験だったし、悪くなかったのは間違いない。ただそれを確実なものにするだけの製作体制がなかったことや、実力が追いついていなかったことは、残念極まりない。

 もともとはダンガンロンパ1のアニメ化した時点で、アニメ用のオリジナルストーリーじゃないからあんな悲惨な出来になった⇒ならアニメ用の新規シナリオで!という流れだったと思うが、終わってみれば、結局アニメ用のシナリオでもだめじゃん!という形になってしまい、無情さがよりいっそう漂う結末になってしまったなと思う。この製作体制を用意したスタッフおよび監督はもっと責任を問われるべきだと思う。もちろん、小高さんのシナリオにも問題はあったけれどね。

 個人的な感想としていえば、2のキャラを軒並み復活させたのが一番印象が悪くて、一度起きてしまった過去をなかったことにするのってどうなの? という気持ちが強い。七海の復活の仕方=生きてるのか死んでるのか分からない、で(何もかもが上手くいくというわけではないように)バランスをとったつもりなんだろうけど、どんな形なのかがそもそも明示されていないので、バランスが取れていない。たぶんこれはもともとの演出意図がスタッフにちゃんと理解されていなかったのが問題だろうけど。そう考えるとますます暗澹たる気持ちになりますね……。(いちおう言っておくとぼくはスーダン2がシリーズのなかで一番好きで一番のファンで同人誌も作ってるくらいだからな!!!!!だからこそ安易に復活させんなよ!!!!!ってなるんだ!!!!)

 長くなったが、ダンガンロンパファンとしてはかなり残念だったなーというかんじで、小高さんにはこれを反省としてずっとゲーム作っててほしいなって思いました(ひどい)。アニメじゃだめだよ、やっぱり。ニューダンガンロンパV3はこうならないことを、一ファンとして切に願います。

「フィニクスフヴォースト 永久の過日を告ぐもの」感想

「フィニクスフヴォースト 永久の過日を告ぐもの」感想

【前書き】

基本的にメモであり、誰にでもわかるように書いてません。あとネタバレ普通にするので、未読の方は回れ右してください。よろしくお願いします。

【感想】

・基本的にはシリーズとおして、大変、すごく面白かったです。スワロウテイルシリーズは未読ですが、基本的には設定や世界観は無理なく構築できていたと思います。で、そういうコトをしてる人は皆無なので、そこにこの作品の価値があると思う。

・とはいえ全体を通して面白かったのは間違いないんだけど、こうしたらいいのになー、みたいなことはちょこちょこ思ったりも。ただ細かい話なんでどうでもいいっちゃいいかもしれない(あまりよく考えていない)。

・以下細かいツッコミが続くんですが、基本的に楽しく読んだという前提の上でかいているということは念頭に置いて頂きたい。楽しんで読みましたからね?(念押し)

・細かい気になる点といえば、たとえば具体的にいえば3巻の冒頭は、最初の80Pくらいより、朝霜と暁が一緒に登場するシーンから書いた方が良かったと思う。朝霜と響で1~2巻をかけて関係構築したはずなのに「響のことを何故か朝霜が忘れている」という引っ掛かりを作るシーンになっているので、ここでまず引き込んだほうが読みやすかったよね、とは思う。3巻が朝霜と響の関係性を題材にした話なので、最初のあたりが二人の前提となる関係性の説明や、1~2巻かけた世界全体の設定のおさらいなどをしていて、これは確かに必要なんだけど、それは朝霜暁を一緒にだして「!??!??!??!?!」みたいに感じさせてからでも遅くないと思う。とはいえこの辺は「創作におけるベターは何か」みたいな話でしかないので、著者の美学としてこの構成が良い!というのならそれはそれでいいのですが。ただ個人的には80Pあたりまでは「話がはじまらないな~~~……」という感じで、暁が出てきてから「おっ?」と身を乗り出す感じになったので、そのほうが良いんじゃないかなあと。

・楽しんで読みましたからね?(三度目)

・その他、3巻は世界にかかわる設定開陳が進むわけですが、暁の処遇というか処理については少し引っかかったというかこのままでオッケーなの?と気になった感じではありました。現状だと、暁は響から学園生活を聞かされて羨んでいたから、身代わりとして響を差し出しちゃった、ということだと思いますが、その動機というか根拠が「それじゃあ(響を身代わりにしても)しょうがないな……」と感じさせるものではないので、現状だと無垢なお姫様の罪を自覚したわがまま、でしかないように思います。実際には、おそらく暁にもどうしても学園生活を送りたいという強い願いがあったんでしょう。その辺の描写がもうちょっと事前になされておくと、あの暁の行動にも許容できる部分があったんじゃないかなと。そもそも暁は1~2巻を通してあまり描写の印象がつよく残っていないので、やはり今回だともうちょっとフォローが欲しかったかなあと。余談ですが似たような演出ミスを自分も一度過去にやらかしたことがあるので、この辺は編集とかのコメントを入れる立場の人間がいないと自覚するのは難しいのかもしれません。つまり作者のなかでは恐らく「暁がああいう行動を取らざるをえない必然性」があたまのなかに組み上がっていたのだけど、それが十全に読者にも共有されているかというとどうだろう、みたいな感じですね。(⇐額から血をだくだくと流しながらこの文章を書いている)

・楽しんで(略)

・朝霜やら学園の艦娘たちが響のことを忘れて、響のポジションに暁がすり替わっている、という構図自体は大変アツくて良かったと思います。えぐくて良いアイデア

・朝霜が響をたすけに行く、という行動自体は何の問題もなかったのだけど、その行動に対するリスクはもっとでかくするべきだったかもしれない、とは思いました。ただこれは好みの問題かもしれません。個人的に、キャラクターに行動の是非を問う、葛藤させる話が非常に好きなので、朝霜がもっと響を助けることが自分にとってマイナスなものでもあるとかだと良かったのかも(曖昧)。人間の感情を汲み取るのに一番手っ取り早い方法は比較させること(問いかけること)で、たとえば自分なら朝霜に対して「暁を殺せば響を助けられるけど、それでも響を助けるの?」とかそういう設問を用意するだろうなー、と読んでいて思いました。朝霜が助けにいくことそれ自体は何の問題もないんだけど、それをより輝かせるための演出の工夫があるともっと良かったかも、とかそういう感じです。ただ、現状でも色々な工夫を凝らしていることは読み取れるので、やはりこの辺はただの個人的嗜好かもしれません。とはいえ、マッマ暁と対話した際、響が目覚めたりする過程に朝霜は基本的に絡んでいないので(つまり朝霜がやってこなくても響はたぶん目覚めた)、もうちょい朝霜と響の関係を補強する一手があればなあとも思いました。朝霜響の関係でいうなら、「最後まで話を聞かない」「最後までいかないと話さない」あたりをもうちょっと上手く利用する感じ(予定?)だったのかな、という気もします。

・ここまでミクロ(人間の関係性の次元)の話ばかりでマクロ(国家や組織・世界の次元)の話を全然してないことに気がついたんですが、やはりマクロレベルの設定処理に追われて(というかそっちにより興味があったのかも)、こういう感じになったのかなーという気もしてきたので、やはり個人の趣味嗜好の話かも?とは書きながらちょっと思っています。

・とはいえマクロレベルの話でも、結局あのあとコードブルーってどうなっちゃったの? というか深海棲艦は結局残ったままというか妖精と起源が同じだから共存するぞ、みたいな感じなの? といいつつも現実的な脅威として深海棲艦は残り続けるのでは??? という若干の語り残しみたいなのは感じました(ちゃんと書いてて読み取ってないだけかもしれない)。

・各章ごとの著作引用文の最後が、パロディ元のスワロウテイルだったのはニヤリとしていいアイデアだと思いました(ああいうの好き)

・別に上で言ったことのバランス取るわけじゃないですが、文章のセンスは羨ましいなーと思うくらい。たとえば子鬼の描写とか、文章だけでもキモさが伝わってきてすごく良かったと思います。その他「あっ、これ俺は書けないわ~~~」っていう文がほんと多くて、描写がお上手で羨ましい限り。

・全体的にシリーズを通して、響以外のキャラクターを視点人物に据えることも多かったので、フィニクスフヴォースト自体が「響と暁」で閉じた世界になっていない所が良いと思います(これは以前にもTwitterで書いたこと)。これによって「世界があの二人だけのものではない」ってわかる(というかそう感じる)構成になってるのと、登場してくる漣や潮だったり、彼女にもそれぞれ物語があることがわかるので、群像劇に近い形になっているのが現状だと思います。ただ群像劇にしちゃうと物語がたためなくなるので、ギリギリの際のところで暁と響で物語を終わらせたんだろうなーと。ただ3巻が終わった現状でも実はあまり「フィニクスフヴォースト・シリーズがおわった」という感じはしないんですよね。たとえば磯風とか浜風って本筋とは一切関係ないのに出てくるから「彼らの人生はそれじゃあどうなったの?」という感じがある(著者にご挨拶した際「あと50Pたりない」とか言ってたのはそういうことなんじゃないかなという気がしますが)。なので、あのへんの子たちがどうなったんだろう? というのはまだ3巻のなかでは処理されないまま残っているのかなーと思います。なんでスピンオフとか書いたほうが世界が充実して良い作品になるんだろうなと。

・テーマ的な部分については、これはスワロウテイルからの引用・オマージュなんだろうなー、というところもあって特段なにかいうことはないかなという感じです。

・感覚的に、3巻はもっと物語が大きく広がるかなー、と思っていたので、思ったよりも小さめな物語で畳んだので、そこは少し意外でした。2巻時点で広げたポテンシャルを使いきってないようにも感じますが、著者のやりたいことが何か、という問題もあるので、そこをどうするかは非常に微妙かつ難しいところでもあります。

 

だいたいこんな感じですかね。

最初にも書きましたが基本的に非常に楽しめたシリーズでした。とくに総括することなく、終わります。何か思いついたらTwitterにも書きます。そんな感じ。